東京都美術館開館100周年記念【14回東京現展】許秀珠〈403地震後的太魯閣〉山川之裂,與人如何在震後重新學會自身的位置 - 東京都美術館開館100周年記念【第14回東京現展】山川の裂け目について、そして人が震後に自らの位置をいかに学び直すか ——許秀珠 Hsu Hsiu-Chu《403地震後の太魯閣》を観る 文:王穆提(WANG MUTI)

山川の裂け目について、そして人が震後に自らの位置をいかに学び直すか

——許秀珠 Hsu Hsiu-Chu《403地震後の太魯閣》を観る

 

文:王穆提(WANG MUTI)

 

作者:許秀珠 Hsu Hsiu-Chu 作品:《403地震後の太魯閣》 サイズ:長さ179 cm × 幅89 cm 媒材:複合媒材

 

私はよく思う。人間の山川に対する理解は、多くの場合、錯覚から始まっているのではないか、と。人は山の前に長く立っていると、山はただ静止したものだと思い込む。谷の中を長く歩いていると、道はいつも危険を通り抜けられるものだと思い込む。風景を長く見慣れていると、風景そのものが見られるために存在しているわけではないことを、つい忘れてしまう。山には山の時間があり、石には石の痛みがあり、渓流には渓流の記憶がある。ただ、それらはふだん人間に向かって説明しないだけである。地震が訪れ、大地が裂け、崩れ、動き、予測不能な力によって、人間のあまりにも安定した想像を断ち切ったとき、人は初めて驚いて知る。私たちは、変動し、裂け開き、自らを書き換える世界の上に、ずっと立っていたのだ、と。

許秀珠の《403地震後の太魯閣》は、私の目には、単に災後の山水を描いた作品ではなく、また太魯閣を壮麗な景勝地として再提示したものでもない。むしろそれは、震後の一つの認識を描いているように見える。画面は高く細長く、視線は垂直に深い谷へと引き込まれていく。上方には重い雲気が漂い、藍黒、灰白、深い青緑が混ざり合い、地震後の山地にまだ完全には沈静していない空気のようである。左右の山体は高くそびえ、圧迫感を持ち、翠緑、深藍、墨黒、赭褐、灰白が交錯している。そのため山はもはや単なる山ではなく、巨大な力に貫かれた後もなお呼吸している身体のように見える。画面中央の深い谷は遠方へと収束し、渓流と白い水光が断続的に現れる。それは災変の後にもなお止まることのない時間のようである。

最も目を引くのは、山体全体に張り巡らされた金白色の線である。これらの線は曲がり、分岐し、斜めに走り、また回り込む。山道のようでもあり、岩層の裂け目のようでもある。地表の皺のようでもあり、地震によって大地が揺さぶられた後に露わになった神経のようでもある。それらは単なる装飾的な輪郭線ではなく、震後の書き込みのように見える。山体はこれらの線によって切られ、結ばれ、標示される。こうして画面全体は、平面的な風景ではなく、地質、創傷、時間に関する一枚の図となる。長く見ていると、これらの金白色の線は、画家が山に加えた模様ではなく、山そのものが災後に露わにせざるをえなかった内部の肌理であるように思えてくる。

画面中段よりやや下には、きわめて小さな赭紅色の涼亭がある。この涼亭は橋ではなく、通行の機能を担っているわけでもない。群山と渓谷のあいだに置かれ、人間界の小さな火のようでもあり、微小な句読点のようでもある。その存在は非常に重要である。なぜなら、この広大な山川の場に、人間の尺度を持ち込んでいるからである。もしこの涼亭がなければ、画面全体はより純粋な地質景観に近づいたかもしれない。しかし、この涼亭があることによって、観者はふと気づく。山川の中において、人間は実に小さいのだ、と。涼亭の赭紅色は周囲の青緑の山体と明瞭な対比をなし、画面の中では小さいにもかかわらず、完全には呑み込まれない。それは、かつて人がここに立ち止まり、眺め、雨を避け、しばし休んだ痕跡のようである。しかし震後の太魯閣において、このような人間の痕跡はとりわけ脆く、そしてとりわけ貴重に見える。

私は、この作品が地震を直接的な崩落現場として描いていない点を好ましく思う。画面には誇張された災害の物語もなく、傷痕を劇的な叫びに変えることもない。許秀珠が選んだのは、別の方法である。彼女は山そのものに語らせている。山の裂け目、水の折れ曲がり、雲気の重さ、線の密度、色層の堆積がともに、震後の沈黙を構成している。この沈黙は、喧騒よりも力を持つ。なぜなら、真に深い災後の経験とは、多くの場合、すぐに泣き叫ぶことではなく、世界がすでに変わってしまったこと、そして私たちの世界の見方もそれに続いて変わらねばならないことを、長く意識し続けることだからである。 私は常に、外なる景を人間自身へと引き戻したいと思っている。震後に山川を見るということは、実は自らの有限性を見ることでもある。ふだん私たちはあまりにも容易に、安定を信じ、道を信じ、地図を信じ、標示され、開発され、名づけられた自然はすでに人間によって把握されたものだと信じてしまう。しかし《403地震後の太魯閣》は私たちに告げる。自然は人間の付属物ではなく、山川は旅行案内書の背景でもない。太魯閣が壮麗であるのは、それが完全には従順ではないからである。太魯閣が人に敬畏を抱かせるのは、そこに美もあり、力もあり、光もあり、裂け目もあり、近づける場所もあれば、所有しえない深みもあるからである。

この作品における複合媒材の性質もまた、主題をより確かなものにしている。画面は単一の平塗りではなく、厚薄の異なる色層、強調された金白色の線、青緑と赭褐の相互浸透によって成り立っている。この材質感によって、山体は描写されたものというより、層を重ねて生成されたもののように見える。ここで複合媒材は単なる技法ではなく、「震後地貌」そのものに呼応している。震後の山川はそもそも複合的である。岩層、土、植生、渓流、裂け目、雲気、記憶、創傷が互いに重なり合っている。許秀珠は媒材そのものを一種の地質的言語に変え、画面に時間によって繰り返し刻まれた厚みを与えている。

この絵の最も深いところは、破裂を終結と同一視していない点にある。画面には裂け目があり、崩れがあり、深谷の暗さがある。しかし同時に、渓流があり、緑があり、金色の線があり、そして山間に静かに存在し続けるあの赭紅色の涼亭がある。そのため、この作品は災害後の悲しみだけではなく、災後の世界が再び形を取り始める一瞬のように見える。山は裂けた。しかし山はなお在る。水は流路を変えた。しかし水はなお流れる。人間の位置はより小さくなった。しかし人間はなお、見ること、立ち止まること、記憶することの痕跡を残している。この複雑さこそ、この作品の成熟である。

したがって、私が《403地震後の太魯閣》を見るとき、最終的に読み取るのは、単なる「地震」ではなく、敬畏についての再教育である。敬畏とは恐怖ではなく、退却でもない。それは自らの位置を知ることである。人は山川を見ることができる。しかし山川がただ人間のために存在していると思ってはならない。人は自然に入ることができる。しかし自然が人間よりもはるかに長く、はるかに深い時間を持っていることを忘れてはならない。あの小さな赭紅色の涼亭は、巨大な世界の中における人間の位置そのもののようである。小さく、短く、それでもなお自らを置こうとしている。

ゆえに、私は次の一文をもって結びたい。

許秀珠《403地震後の太魯閣》は、単に震後の山川を描いているのではない。裂けた山体、流れる渓水、密に張り巡らされた金白色の線、そして小さな赭紅色の涼亭を通じて、人間にあらためて理解させるのである。私たちは自然の主人ではなく、大地の襞の中に一時的に身を置く観者にすぎないのだ、と。