「界」の縁から「無界」を見つめる:王穆提《Unbounded》、国立新美術館で展示、「日本ターナー賞」を受賞
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国立新美術館、第82回日本現代美術家展(現展)の会場において、台湾の現代美術家・王穆提による大尺幅の二連作《無界》(Unbounded)は、約4メートルに及ぶ垂直的なスケールによって、会場内で見過ごすことのできない視覚的焦点となっている。作品は天然植物染料、日本墨、アクリル絵具、宣紙によって構成され、高さ387センチ、幅291センチ。二幅が並置して掛けられ、まるで引き裂かれた暗色の峡谷のようであり、また生成途上にある精神の地図のようでもある。
《Unbounded》は、日本の著名な画材企業であるターナー色彩株式会社(1946年創業)が設立した「ターナー賞」による評価を受け、第82回日本現代美術家展において国立新美術館で授与された。同賞は、媒材の掌握、色彩表現、そして現代美術の語彙において際立った表現を示す創作者を奨励することを目的としている。また同時に、王穆提は日本現代美術家展の記録を打ち破り、わずか2回(2年)の出品で準会員に推薦された(2025年)。日本の公募展団体において、通常、準会員となる段階に至るには4年から7年以上を要する。

巨大な二連作:水墨と幾何の対峙
《Unbounded》が最も直接的に与える衝撃は、そのほとんど建築的ともいえるスケールに由来する。二幅の作品が並置されることで、垂直に展開する深い黒の空間が形成される。鑑賞者が作品の前に立つと、視線は一度に全体像を捉えることが難しく、上部の濃密な墨層、中央を漂う灰白色のにじみ、そして下部に重厚に堆積する黒い領域のあいだを往復するほかない。
画面の表層には、斜角と直線的な境界をもつ半透明のグレースケールの色面が複数見られる。これらの幾何学的形体は、冷静な切断面のようでもあり、混沌の上に浮遊する観測レンズのようでもある。同時に、下層の水墨は単一のイメージへと馴致されているのではなく、積層、滲流、沈澱、にじみによって、深淵、岩層、星雲を思わせる複雑な紋理を形成している。
このような視覚構造によって、《Unbounded》は単なる抽象水墨でも、単なる幾何学絵画でもなくなっている。作品の核心的な張力は、まさに「界」と「無界」のあいだの反復的なせめぎ合いにある。一方には直線、枠組み、理性的秩序があり、もう一方には流動、拡散、測定不能な墨色の暗流がある。

「界」から「無界」へ:現代水墨の精神的現場
王穆提はこの作品において、明確な物理的肌理や外部的な遮蔽効果に頼って視覚的衝撃を生み出しているわけではない。むしろ作品は、水墨の本質を長時間にわたって凝視する行為に近い。水分はいかに墨粒を押し動かすのか、宣紙の繊維はいかに顔料を吸収するのか、時間はいかに色層を徐々に沈降させるのか。
伝統的な水墨において、筆墨はしばしば山水、花鳥、人物を描くために用いられてきた。しかし《Unbounded》において、水墨はもはや再現に奉仕するものではなく、作品そのものの主体となっている。墨そのものの流動、停滞、沈積、破裂が、画面の生命リズムを構成している。鑑賞者が目にするのは、何らかの具体的な景物ではなく、物質が生成していく過程である。
このような制作方法は、作品に明確な同時代性をもたらしている。それは東洋水墨がもつ気韻、時間、余白への感受性を保ちながら、西洋のハードエッジ抽象、ミニマルな構造、空間分割に近い視覚論理を導入している。両者は互いを相殺するのではなく、同じ一枚の宣紙の上で弁証法的な関係を形成している。

理性の結界:柔らかな媒材の上に硬い境界を引く
《Unbounded》において特に注目すべき点の一つは、画面内に見られる、一見冷静で精密な幾何学的境界である。宣紙と水性媒材そのものは高度な流動性をもっており、墨や顔料がいったん紙の繊維に浸透すれば、にじみ、毛羽立った縁、不可逆的な痕跡が生じやすい。そのような媒材の上に、まっすぐで、斜めに切り込まれ、制御感を備えた境界を残すことは、単なる形式設計ではなく、高度な技術と身体的制御の結果である。
これらの半透明の幾何学的色面は、混沌へと介入する理性的システムのようである。それらは下層の墨痕を完全に覆い隠すのではなく、その下にある紋理をほのかに浮かび上がらせている。その結果、画面には多層的な鑑賞経験が生まれる。鑑賞者は理性的な枠組みを見ることができると同時に、その枠組みを通して、底層にある測り知れない暗流を見つめることができる。
この意味において、《Unbounded》における「界」は閉ざされた壁ではなく、暫定的に成立した秩序である。それは墨色を制限すると同時に、墨色を新たに見直させるものでもある。

「無界」の深淵:生命、時間、潜在意識の暗流
幾何学的構造が示す理性的秩序に対して、画面内の大面積にわたる水墨の積層は、馴致しがたい「無界」の力を呈している。黒、灰、白が絶えず絡み合い、岩層、雲気、嵐、あるいは肉体の紋理を思わせる複合的なイメージを形成している。それらには明確な始点も、はっきりした終点もなく、まるで画面の外へと持続的に伸び広がっているかのようである。
このような視覚効果によって、作品は形式的な美感にとどまらず、心理的かつ哲学的な厚みを備えている。仏教の唯識思想の観点から見るならば、下層の墨跡は意識の深部に潜む種子の流動として理解することができる。現代社会の観点から見るならば、それは理性的制度、データシステム、秩序の外殻によって抑圧された生命エネルギーのようにも見える。
したがって《Unbounded》は、現代人の精神的肖像として捉えることができる。高度に規律化された世界の中で、人々は絶えず秩序を構築しながらも、常に内なる混沌の回帰に直面しているのである。

現展とターナー賞:日本の現代美術領域における評価
日本現代美術家協会が主催する「現展」は、長年にわたり、日本の現代美術作家が作品を発表する重要な場であり、平面、立体、工芸、写真など多様な媒材を含んでいる。現展における「ターナー賞」は企業協賛賞であり、日本の著名な画材ブランドであるターナー色彩株式会社によって支援されている。
この賞を受賞することは、作品が媒材の運用と現代的表現において、展覧会審査員および専門企業から評価されたことを意味する。王穆提にとって、天然植物染料、日本墨、アクリル絵具、宣紙によって織り成された《Unbounded》は、まさにターナー賞が重視する媒材実験と色彩表現に応答するものである。
結語:深淵の前で、水墨を再び理解する
《Unbounded》は、安定した答えを提示する作品ではない。それは識別可能な山水を描くものでもなく、鑑賞者を装飾的な抽象美の中に留まらせるものでもない。作品はむしろ一つの視覚的現場である。理性と混沌、制御と流動、境界と無辺が、巨大な宣紙の上で持続的に対峙している。
王穆提はこの二連作を通じて、水墨を伝統的図像の再現から解放し、水墨を時間、物質、精神的力が交差する場へと変容させている。《Unbounded》の前に立つとき、鑑賞者が向き合うのは墨色の深淵だけではない。それはまた、現代の生存状態に関する問いでもある。制御不能な世界の中で、人はいかにして自らの境界を引くのか。そして、その引かれた境界は、内奥にある無界の流れを本当にせき止めることができるのだろうか。









